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ケニスヘッダー
インタビューシリーズ 第8回

授業で実験をしている時は
本当に嬉しいんです
プロフィール
檀上 慎二(だんじょう しんじ)先生
・1956年 大阪に生まれる
・1980年 京都大学理学部 卒業
・1980年 大阪府立天王寺高等学校教諭
・1991年 大阪府立住之江高等学校教諭
・1994年 四天王寺高等学校・中学校教諭
  オンライン自然科学教育ネットワーク世話人

理科教育の各分野で活躍される先生方を訪ね、全国の志を同じくする仲間たち、とくに21世紀を担う若い世代へ熱いエールを贈っていただくインタビュー・シリーズ。今回は四天王寺高等学校・中学校で、女子生徒に理科を教えながら、オンライン自然科学教育ネットワークの世話人として、休日にはボランティアで実験教室に全国を飛び回り、子供たちに理科の面白さを伝え続けておられる檀上先生にいろいろとお話を伺った。

「モーターからね、相撲中継が聞こえてきたんですよ!!」

―――まずは、檀上先生の少年期の思い出をお聞かせ願えないでしょうか。
壇上先生:  私の家は大阪日本橋の三味線屋でした。三味線を作る方ではなくて、売る方の仕事です。和歌山から大阪にでてきた祖父が始めた三味線を売る商売を父もしておりまして。商品を梱包して発送するために、木の板を組んで箱にしていたので、荷造り場には木の切れ端やボール紙の余りや大工道具がふんだんにあって、けっこう自由に使えたんですよ。幼い頃から家の中に、工作をして遊べる環境があって、いろいろなものづくりを覚えました。学校の成績は、理科と算数がよくて、国語とか英語はだめでしたね。字もきたなくて(笑い)。でも、理科が特に好きというわけではなくて、どちらかというと理科よりも技術科のほうが好きでした。私は男三人兄弟の真ん中なんですが、四つ年上の兄が手先が器用でなんでも作る人だったので、ハンダづけなんかも割と早く覚えました。私の少年期には、野山を駆け回って遊んだ自然体験というものはなくて。なにせ日本橋ですから、草とか花とかは身近になかったんです。そのかわりに小学校高学年くらいから、電気屋街を歩いて、電子部品を買ってきて工作して遊んでいました。山田善春さん(第6回インタビュー参照)が島根県の海や山を駆け回っていたのと同じように、私は大阪の電気屋を駆け回っていたのです(笑)。
―――そんな檀上少年が、サイエンスにひかれていったきっかけは?
壇上先生:  私はサイエンスよりもテクノロジーのほうが好きだったのですが、中学生の時、技術科の授業で、スピーカーとマイクの話を聞いたのです。スピーカーというのは、コイルに音声電流を流して、そばに磁石をおいていたら振動して、その振動を音にして出している。マイクは全くその逆をやっているのだと。ちょっと待てよと思いました。コイルに電流を流して、そばに磁石があるというのはモーターと同じ構造じゃないか。ということは、モーターに音声電流を流したら、振動して音波がでるんじゃないかと考えたんです。中学三年生のときでした。それで家に帰るなり、モーターを出してきて線をブチッと切って、イヤホンの線も切ってつないで、ラジオの音声電流をモーターに流してみたら、モーターからね、相撲中継が聞こえてきたんですよ!!「北の富士がなんとか、かんとか」と(笑)。いまでも、はっきり覚えています。それで、ウォー!!と思いまして。これは面白いと。この実験は、いまなら多くの理科の先生が教材として使っていますし、80年代に出版されて我々のバイブルになっている「いきいきわくわく物理」にも載っていますが、私は実ははるか以前にそれを発見して知っていたんですよ(笑)。この時の感動体験が、私が教師となってから実験を軸に授業を展開していくという手法をとる伏線になっていると思います。
―――そういう理科少年は、そのまますくすくと成長したのでしょうか?
戸田先生:  確かに私のべースには電気や機械で遊んだ小学校、中学校時代の原体験があったのですが、高校の物理の授業は面白くなかったんですよ。高校の物理は黒板に書かれた問題を解いていくばっかりで、実験はほとんどありませんでした。物理実験室に足を踏み入れたのは、高校三年間で2回か3回しかなかったと思います。化学や生物は割合よく実験していたのに物理はなかった。それなのに物理が面白いと思ったのは、3年生の中間考査のときに、大き
なきっかけがあったのです。皆さんも経験があると思いますが、試験の前って、無性に試験と関係のないことをしたくなるでしょう。カムイ伝を1巻から読んでみようとか(笑)。あれ読み始めると抜けられなくなるんですよね(笑)。その時、私は教科書の試験範囲と関係ないところをパラパラと読んでみたのです。ひと通り勉強した頭で読むので一応理解できるわけです。ああ、なるほどこれはこういうことだったのかと。読み進んでいくと、そうかこれはこう、あれはこうだったんだなと気がついて、物理ってこれはうまいことできてる世界やなぁ、面白いなぁと、とうとう教科書一冊読みきってしまったんですよ。その時の試験の結果はよく覚えていないんですけど(笑)。それが、大学の理学部へ進んで物理をやろうと決めた直接のきっかけでしたね。
―――実際に大学に入ってみていかがでしたか
壇上先生:  私は一浪して大学に入りましたが、とにかく物理が勉強したくて。当時、物理学科へ行く連中は、宇宙物理か素粒子かどちらかをやりたいというのがほとんどでしたが、自分はエネルギー問題を解決してやろうと思っていました。核融合はクリーンにできるのではないかとか。水素エネルギーをうまく使う画期的な方法があるはずだとかね。それから、これは高校生の頃から頭の中にあったのですが、半分は物理を研究したいという気持ちと、半分は自分の学んだ物理を教えたいという気持ちがありました。教育というものに大きくひかれたのは、四年生の教育実習の時ですね。教えるということについては、家庭教師をしながら、その難しさや楽しさを感じていたのですが、教育実習で現場に行って、ああこの道も面白いなと本気で思い始めたのです。四年生の9月に大学院の試験に落ちまして、同時期に受けた大阪府の教員採用試験は受かりまして、神様は自分にこっちへ行けと言ってるんだろうと思いまして(笑)。この判断は、いまでも間違っていなかったと思っています。

「理科の教師には、実験という武器があるじゃないか」

―――実際に高校の教師になってみて何を考えられましたか
壇上先生:  私がはじめに行った学校は、進学校でした。自分が高校時代、物理の授業はなんで面白くなかったんだろうと思い返して、やはり実験しなかったからだと考えました。黒板とチョークだけで授業をやるからだと。問題演習するのは、これは仕方がないんですよ。進学校の授業は、大学受験に対応しなければいけませんからね。でもせめてそれを少しでも興味深く見せたい。そのためには物を見せないといけないと。ですから、いつも教室に物を持っていって授業をしていました。それから私が幸運だったのは、当時、その学校では進学校の割には、比較的よく実験をやっていまして、先輩の先生が実験するのを見様見真似で覚えることが出来ました。ちょうど落語の弟子が、師匠の高座を舞台袖からこっそり盗み見て、技を盗むのと同じことをよくやりましたね。講義室の壁の裏からじっと聞いていたり、道具の使い方を見て学びました。
その学校には11年いましたが、公立高校ですから、やがて次の学校に転勤しまして、この学校は対照的に進学する生徒が非常に少ない学校でした。360人入学してきて、大学へ進むのはそのうち20人程度。それも全員が文系への進学です。理系への進学は、コンピューターの専門学校と看護学校だけ。この学校で受験校と同じような物理を教えても、彼らの進路には全く関係がない。どうやったら生徒達に物理の面白さを伝えられるだろうと悩みました。いくら進路に関係のない物理でも、授業時間に彼らに好き勝手におしゃべりさせておいてはいけない。どんな形であれ、この子達に理科の面白さを教えるのが自分の仕事だと。進学校から、いきなりやってきて、悩まない教師はいないんですよ。もう何をやっても駄目。全然うまくいかないのですから。そんな時、同僚の国語の先生から、「理科の教師には、実験という武器があるじゃないか」と言われたんです。これは私にとって、大きな言葉でした。「そうか」と吹っ切れました。実験を軸にして授業をやっていこう。まったく教科書にはとらわれないで、すべての授業に実験を取り入れました。参考にしたスタイルは、仮説実験授業でよく行われる「これこれをこうしたらどうなると思う?」と生徒に考えさせる授業です。このやり方をふんだんに取り入れました。早く言えば、クイズ形式ですよ。そして、答える時に、必ずその理由を言わせるんです。面白いことに進学校の生徒は、この理由を言うということに抵抗がありました。恥ずかしさや「しらけ」があるんです。でも、この学校の生徒諸君は乗ってくれた。誰だって自分の意見が言えて、それが正しかったら得意になるでしょう。そして実際にやって、その通りうまくいく。「お前正解や!よう解ったなぁ!」と言われると嬉しいでしょう。そういうところから、生徒は前を向いてきますよね。これを毎日の授業で繰り返しました。このスタイルは、非常に辛くて苦しい道です。毎回実験をするということは、準備に時間がかかります。生徒がやんちゃな学校でしたから、しょっちゅう家庭訪問にも行かなければならないし、就職のために企業廻りもしなくてはならない。けれど、ここで自分がつぶれたら意味がなくなると思ってやりつづけました。その結果、物理の選択者が18人しかいなかったのが65人に増えたんです。これは私に勇気を与えてくれました。そして、いまボランティア活動で小学生相手の実験教室をやる場合にも、このスタイルはとても役立っています。
―――現在、四天王寺中学・高等学校ではどのような授業を。
壇上先生:  最初に勤めた学校におられた先輩の先生が、公立高校を定年退職され、四天王寺高校に移られました。その先生が四天王寺も退職するという時、お声をかけていただき、現在の職場に移りました。こんどはまた進学校です。しかも女子校です。私はよく人からこう言われるんです。「四天王寺高校って女子校でしょ。女子校で物理なんか教えて、生徒は解ってくれますか」とね。何て失礼な、と腹が立ちます。女子には女子の優秀さがあります。男性よりも女性のほうが、理科をよく理解しますよと、言ってやるのです。女子校で物理をやるのは特殊なことではありません。
基本は、やはり実験を軸にして、やる気を引き出す授業をやれば必ずうまくいくと信じてやりました。そして、やっぱり物理の選択者は増えました。うまくいくと人間どんどん欲がでるもので(笑)、よしせっかく中学校を併設している学校にいるのだから、今度は中学生にも教えてみたいと思いまして、通信教育で中学理科の教員免許を取って、いまは中学生にも教えています。最初は周りから色々と言われました。「檀上さん、あなたは高校生しか教えたことがないから苦労するぞ。中学生は理科の専門的な言葉は何も知らないから、高校でやっていたようにはいかないぞ」とね。でも私は自信がありました。だってボランティア活動で、週末にはもっと幼い小学生に教えているのですから(笑)。ONSENでの経験は、中学校での授業にも本当に役立っていますね。
※ONSEN(オンライン自然科学教育ネットワークの略):Onsen HP http://www.onsen-web.org/
―――当社にも檀上先生の教え子が働いておりますが、先生の授業に大きな影響を受けたと申しております(笑)。
壇上先生:  いつも生徒に言われるのは、「檀上先生は授業で実験している時に、ほんまに嬉しそうな眼をしている」と。実際のところ、本当に嬉しいんです(笑)。私は自分がやろうと企画を立て計画してやってきたことが、思い通りに行かないと気がすまない性質でして。そのために周到に準備をしますよ。芸人が高座でけっして失敗しないように、必死で技を磨くように、何度も何度もシミュレーションして本番に臨みます。うまくいくと本当に嬉しいんですよ(笑)。先生はこんなに面白がってやっている。その姿を見て、生徒は理科の世界を面白いと感じるようになっていくようですね。
―――ONSENを立ち上げたきっかけは?
壇上先生:  私が実験を軸とした授業展開をする中で、いままであった進学校向けの実験だけではまったく不十分でした。そこで色々と工夫して開発した実験を紹介したり、また他の先生方の実践を吸収したいと思ってやっていた時に、自分と同じことを考えて、身近で簡単で手軽な実験を繰り返すことで、子供たちにに理科の興味を訴えたいと主張する男が、大阪府の高等学校理化教育研究会にやってきたのです。山田善春という男です。私と同じことを考えている人間がいるんだなぁと思いまして。彼が参加するようになって、一時、理化教育研究会の例会は、私と山田さんで発表合戦になりました(笑)。私にとって理化教育研究会が一番面白かった時です。当時は、インターネットの黎明期で、その前身のパソコン通信の時代でした。このパソコン通信、今でいうメーリングリストのようなシステムです、これを使えば、月一回しか情報交換ができない例会を毎日できるようになる。これを使おうと。ONSENは、最初は実験教室を目的としたわけではなく、研究会をやるために立ち上がりました。その後、山田さんが個人的に引き受けていた実験教室の依頼を、ONSENラボとして引き受けて活動するようになっていったのです。
―――最後に、若い先生方や理科教育界に向けて一言お願いします。
壇上先生:  理科を教える教師に必要なものは、理科が面白いという経験です。私は英語が駄目でコンプレックスがあるので、残念なことに「英語が面白い!」と心から思った経験がありません。ですから、仮に「おまえ一度、英語の授業をやってみろ」と言われたとして、勉強して英語の面白さを自分の頭の中では理解できても、それを生徒に訴えかけ、伝えることはできないでしょう。やっぱり理科を教える人には、できるだけ若いうちに理科は面白いという実体験をして欲しいですね。特に小学校の先生に体験して欲しい。小学校の先生は大半が文系です。教師になって間もない頃に、心の底から理科は面白いという体験をしていただきたいと思います。それから、これからの5年間で日本の教師は一気に若返ります。現在の教師の人口ピラミッドは50歳以上に偏重しており、いっせいに定年退職を迎える。これからの数年間で、先人の知恵や技術の伝承がうまくいくのかなということを非常に心配しています。私には幸いにして技を学び覚え盗める優れた先輩の先生方がおられましたが、学びたくとも盗みたくとも、相手がどこにもいないという時代がもうすぐそこまで来ているのですから。その辺りのところを、教育委員会や様々な理科教育関係者によくお考え頂きたいと思っています。
―――理科の授業や実験の取組みについて示唆に富む話をお聞きしました。どうもありがとうございました。


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