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ケニスヘッダー
インタビューシリーズ 第3回

「科学実験を通して
子供たちの個性を伸ばしたい」
プロフィール
纐纈 満(こうけつ みつる)氏
・1948年 岐阜県岐阜市に生まれる
・1972年 東京理科大学理学部応用物理学科 卒業
・1972年 日本ガイシ株式会社に入社
・2003年 取締役広報部長
・2005年 日本ガイシ株式会社常務執行役員
  サイエンスレンジャーとして活躍
・2014年 名古屋市科学館 館長

理科教育の各分野で活躍される先生方を訪ね、全国の志を同じくする仲間たち、とくに21世紀を担う若い世代へ熱いエールを贈っていただくインタビュー・シリーズ。
今回は、ボランティア講師として子供たちに科学の楽しさを伝えながら、日本ガイシ株式会社の常務執行役員として科学雑誌「ニュートン」で実験ぺージを連載し、愛知万博では水の不思議を体験できるパビリオン「ウォーターラボ」を製作指揮された纐纈さんにいろいろお話を伺った。

(インタビュー場所 : 愛・地球博・日本ガイシパビリオン「ウォーターラボ」)

笑っちゃいけませんよ、僕は哲学をやりたかったんです(笑)

―――まずは、纐纈さんが物理の世界へ進まれた経緯を知りたいのですが、少年期の思い出をお聞かせ願えないでしょうか。
纐纈さん:  小さい頃から本を読むのが好きで、小学校6年の頃には三島由紀夫を読んだりしていました。僕はもともと文科系に行きたかったんですよ。笑っちゃいけませんよ、僕は哲学がやりたかったんです(笑)。インド哲学がやりたかったんです。割と多感な少年時代を過ごしまして、中学生の頃から小生意気に「人間って何だろう」なんてことを考えていました。中学1年のときに友達が亡くなったりしたことも影響しているかもしれません。最初は教会に通って牧師さんの話を聞いて「神様ってすごいなぁ」なんて思っていたのですが、牧師さんに色々聞いてみても「全部神様が決めてるんだ」という答えなんですよね(笑)。中学3年の頃にはギリシャ哲学の禁欲主義に憧れたり、高校1年になってからは苦行や輪廻について考えたりしましてね。ところが高校1年の終わりに進路相談がありまして、先生に希望を言ったんです。「僕は哲学をやりたい」とね。そしたら先生にあっさり駄目だと言われまして。なぜならば、お前は英語駄目だろ、社会も駄目だろ、点が取れてるのは物理と数学しかないじゃないか、絶対無理だとね(笑)。それでいろいろ考えまして、物理は物の存在から存在を考えていく学問だし、哲学というのは人間の存在から存在を考える学問だ。存在を考えるという点では、物理も哲学も似たようなものかもしれないと思うようになったんですよ。どうせ理系で受験するなら、よし物理をやろうと。ところがたまたま合格してしまって、まぁいいかという感じですかね(笑)。
―――纐纈少年は、はじめから理科少年ではなかったわけですか?
纐纈さん:  実験は好きでしたよ。花火の火薬を砂に埋めて火をつけたりして、かなり危険な遊びをしていました。なぜ、どうして、というのが好きでしたから。僕の手の届くところにあった我が家の時計は全部壊れましたね。分解は面白かった。覚えていますよ、初めてぜんまいを取り出して伸ばしてしまって、いくら巻いてももう二度と戻らないんですよね(笑)。昔の子供は生活の中でいろんなことを経験できました。おつかいに行くと味噌や醤油は量り売りで、台ばかりやばねばかりのしくみを知らず知らずのうちに学んでいました。町の時計屋のおじさんの周りにたかって「あっちいけ」とか言われながら、修理しているところを見ることができた。いまの子供はかわいそうです。なんでも危ないからと現場を見せてもらえない。いまは社会がかなり意識をして子供に現場を体験する機会を与えないといけないと思っています。名古屋市科学館には本物の電柱を科学館の中にたてて電気工事用のバケットに乗って碍子の取り付け作業を体験できる展示物があります。私がボランティアで実験講師をはじめたのも、そんな思いがあったからなのです。
―――会社員がボランティアをやるメリットは?
纐纈さん:  我々サラリーマンは会社の中だけにいると、人生は仕事しかなくなってしまう。単線運転になるんです。ボランティ
ア活動をしていると、人生は複線、複々線になる。ボランティアを通して地域やグループの中で自己実現できるから、社員の心のケアにもなる。ですから僕は研究所時代から、ずっとボランティアは必要だと訴えてきました。それから、ボランティア活動には企業のもつノウハウを生かせる面が大いにあります。ボランティアしたい人が集まっていざ動き出すと、組織化したり運営したりする必要がでてきますよね。企業はもともと組織で動いているわけですから、そういった面の後押しが自前のノウハウで簡単に出来るわけです。
―――技術職として研究開発の第一線を歩いて来られたわけですが、研究畑でのご苦労などを聞かせてください
纐纈さん:  研究テーマを考える時、10人うち3人が面白いと言ったら、その研究はラストチャンスだと思ってやってきました。過半数が面白いと言ったら、もうその研究は先に誰かがやっているから駄目だと。10人のうち1人だけだと、それは独りよがりだと(笑)。研究なんていうのは当たるのはめったにないわけで、事業として成功する研究は本当に少ない。研究とは孤独な仕事です。大切なことは失敗を恐れないで挑戦をすることですね。挑戦して身に付けたことは、必ず次の研究に役立つんです。僕は物性物理が専門でしたが、会社に入ると何でもやらなければなりませんから、バイオの研究所を立ち上げるのに人材を集めるところからやりました。悪戦苦闘しながら、研究畑でやってきました。まさか自分が広報担当になるとは思ってもみませんでしたが。
―――研究畑一筋20数年で来られた纐纈さんが、明日から広報部と言われたときはショックだったのでは?
纐纈さん:  技術畑の自分がなぜ広報部なんて外向きの部門なのか意味がわかりませんでした。当時、研究所でプロジェクトのリーダーをしておりましたし、僕がいなきゃ現場が困るでしょうという思いがありましたしね。ところが社長が決めたって言うんですよ。しょうがないからあとから社長に聞いたんです。そしたら、2つ言われました。「お前2年や3年数学が得意だったからって大きな顔するな」「貧乏な会社に入ったと思ってあきらめろ」とね。何のことかさっぱりわかりませんでした(笑)。しばらくたってから、社長がマスコミの取材に答えて「うちは製造業だから技術のわかる人間が外向きに発信しなければ世間様に聞いて頂けない。それにうちは製造業だから採用の8割は技術職だ。これは技術屋の仕事、これは事務屋の仕事だなんて分けていては会社が廻っていかないんだ。」と話されるのを聞いて、貧乏な会社に入ったと思ってあきらめろという意味がわかりましたね(笑)。技術職だから技術だけやってるわけにはいかないと。でも僕じゃなくてもいいんじゃないかと思いましたがね(笑)。それで広報になって、どうせ僕は素人なんだからやりたいことをやろうとね。
―――広報では、どのようなお仕事を
纐纈さん:  一般消費材を製造していない日本ガイシのまずは知名度を上げようと思いました。ターゲットをこれから社会に出てくる若い世代に決めまして、世界的によく使われている人気キャラクターを調査して、忍者をモチーフに黒子を会社のキャラクターにしました。また、科学雑誌の中で圧倒的に発行部数の多いニュートンで「家庭でできる科学実験シリーズ」を連載しはじめたのです。実験はもともと好きでしたからね。おかげさまでこのシリーズは、日本全国の多くの方から励ましや感謝の言葉を頂戴しています。

「研究者として、企業人として理科教育への熱い想い」

―――愛・地球博で自社製品の宣伝ではなく、理科実験を体験できる「ウォーターラボ」を企画された意図は?
纐纈さん:
「愛・地球博」日本ガイシパビリオン内にて
 普通、企業のパビリオンというとプロに任せきってしまうものですが、まず当社が何を伝えたいのかということを真剣に考えました。当社は水に関わる仕事をしておりますし、実験教室を通じて水の不思議さというものを私自身が強く感じていました。会社の名前を覚えて頂きたいということもありますが、それよりもたくさんのお客様に来ていただいて「水ってこんなに不思議なものなんだな。水って大事だな。」ってことを感じてもらうことが、環境博覧会という意味でも、伝わればいいなと思って実験を組み合わせて作り上げていきました。雲の発生や過冷却、ダイヤモンドダストの実験など、博覧会の期間中毎日変わる気温、湿度の中で実験をやり続けるというのは非常に骨の折れる作業ですが、スタッフ全員が協力してやってきました。
―――ご多忙な企業人でありながら、ボランティア活動に熱心に取り組んでおられる纐纈さんの話に感銘を受けました。お話をしていただきまして、本当にありがとうございました。


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