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ケニスヘッダー
インタビューシリーズ 第2回

「苦労・失敗から楽しみへ
―理科教育」を語る
プロフィール
高橋憲明(たかはし のりあき)氏
・1936年 大阪府茨木市に生まれる
・1959年 大阪大学理学部物理学科 卒業
  大阪学院大学教授
  大阪大学名誉教授
  大阪市立科学館館長
  日本物理教育学会会長
  専門 原子核物理学 理科教育(理学博士)

理科教育の各分野で活躍される先生方を訪ね、全国の志を同じくする仲間たち、とくに21世紀を担う若い世代へ熱いエールを贈っていただくインタビュー・シリーズ。
今回は、大阪学院大学教授で大阪市立科学館(夢中ときめき館)の館長を勤めておられる高橋先生に、色々お話を伺いました。

(インタビュー場所 : 大阪学院大学)

担任の先生の「面白いなぁ、もっとやれ」という言葉

―――まずは、高橋先生が物理の世界へ進まれた経緯を知りたいのですが、少年期の思い出をお聞かせ願えないでしょうか。
高橋先生:  小さい頃からなんとなくですが、飛行機みたいなものを作りたいという想いがありました。小学校一年生、二年生の頃が戦時中で、もののない時代でしたが、グライダーとかゴム飛行機を自分で作って遊んでいました。戦後になりまして、日本が復興し始めるとモーターが手に入るようになりましてね。これはものすごく面白かったなぁ。雑誌にモーターの作り方が書いてあって、ブリキ板と銅線で作るんですが、子供のやることですから、これがなかなか上手くいかないんですよね。私が苦労してやっていると、父がモーターの組立てセットを買ってくれましてね。これはきちんと部品ができているから、すぐ上手くいく。面白くないんですよねぇ。(笑)
―――お父様のご職業は理科系だったのでしょうか?
高橋先生:  父は文系でしたが、わりに理科系のことをよく知っておりまして、自分が勉強するのに化学の本を写せとよく言われました。当時はコピー機なんてありませんし、子供は労働力ですから、よく父に言われて全然理解できないまま難しい化学の本を書き写していました。 理科系に進んだひとつのきっかけは、私の場合、先生の言葉だと思っています。小学校時代の先生方は、理科ってそんなに得意でなかったように記憶しているのですが。非常に良かったのは、私の担任の先生は音楽がご専門で「理科は全く知らない」とおっしゃいましたが、私のやったことを見て「面白いなぁ、もっとやれ」と言ってくださったことです。それだけですよ。まぁ、自分で責任とって何でもやれ、独り立ちせぇとね。
これがものすごく嬉しかった。そういう言葉をひとつかけてもらうだけで随分違いますよね。 子供には、良いモノを与えるのではなくて、自分で独立させようとすることが一番大切なことではないですか。戦後は大人も生きることに随分苦労していましたから、自分でどう生きるかということを一生懸命探していた時代かなぁと、それが子供にも伝わっていた時代ではなかったかと、今になって思いますね。
―――そういう理科大好き少年が、やがて物理学へひかれていったのは?
高橋先生:  中学校に入っても相変わらず理科は好きでした。これが何を意味しているのかと問われたら、まだ自分はよく分かっていないという思いはありましたが、けど面白いなぁと思っていました。高槻高校に進んで、わりとのびのびした校風の中で、当時非常勤講師で来ておられた京都大学の大学院生かそれを終えられたくらいの物理や数学の先生に影響を受けました。時々、先生にわからないことを質問すると一言でキーポイントをついた言葉で答えてくださるんですね。こちらは実は何が分からないのかよくわからないまま、先生に質問しているのですが、話しているうちに自分の聞きたかったことはこれなんだと上手く誘導してくださるような方で、これはすごい先生だなと思いました。やがて、自分に向いているのは物理とか化学をきちんとやることではないかと思い始めたんです。
―――大阪大学の大学院では、どのような研究を
高橋先生:  院生になった時、戦後しばらくは使われていて、あと放ったらかしになっていたコッククロフト-ウォルトン型加速器(原子核を壊変する実験装置)があり、「ちょうどよい時に来た。おまえこれを再建して、60万ボルトの電圧を出し、水素イオンを加速せよ」と言われましてね。(笑)実質的に一人で製図からはじめて町工場で部品を作ってもらったりしました。修士一年のときは、毎日が工員みたいな生活でね、本当に苦労だらけでした。とにかく部品ひとつから、どういう材質がいいのか、どういう溶接をするのか、どういう表面仕上げをすればよいのか、いちいち自分が把握していなければならない。下手なことを言うと町工場はろくなものを作って来てくれないので、ポイントをこちらがしっかり押さえていないと駄目なんだと少しづつ学んでいきました。実験で使うものを作ることを、若い時一度やっておくのはものすごく大事だと思いますよ。具体的にどういう実験装置を使って、どんなことが測定されたかということを知っていると、物理の内容に固有の強みと弱みがわかる。自分で失敗しても良いから、物事に取り組んでみることですね。

「理想の科学館、そして理科教育への熱い想い」

―――科学の祭典大阪大会の実行委員長を勤めてこられたわけですが、率直な思いを
高橋先生:  大阪の高校物理の先生方は非常に優秀な方が多かったので、随分助けて頂きました。みなさん教育に対する見識が非常にある方々ばかりで、本当にすごいなぁと思いました。大阪大会は始め大阪市立科学館が場所を提供してくださって、つづいて,関西サイエンス・フォーラム,さらには読売新聞大阪本社のご協力を得るに至りました. お金の無い中でみんなで知恵を出し合って成長してきたのです。上手い具合に大阪という土地は、普段はバラバラに見えても、何かやろうとなった時に不思議とプラスの方向に、力が結集するんですよ。東京のコピーではなく、大阪らしくやろうと。企業とか学校とか関係なく、すべての人が創意工夫をしてね。そんな中でユニークな方も多く参加してこられました。ぬいぐるみを着て実験をしている変わった人がいるというので見てみると、それがケニスさんでしたね。(笑)
―――そして今大阪市立科学館の館長をひき受けられて、理想とされる科学館の姿を教えてください。
高橋先生:  大阪市立科学館の学芸員の方は優秀です。しかも十数人の陣容で日本ではトップです。学芸員というのは、一般に少数派の職種で、どうしても館の中に閉じこもりがちですが、私は学芸員というのは、教育者と研究者の両方の面を持った大学の先生のようなものだと思うのです。この点をもっとはっきりさせるべきだとね。「教育の研究」や「教育のための演示資材の研究」、こういうものを積極的に外へ発信していくべきと言いまして、今大阪教育大学との共同研究活動につながっています。また、今年の世界物理年の活動で、大阪大学との連携もできはじめました。大阪市
立科学館には世界に発信できる展示物も持っているんですよ。この科学館には本当に可能性があるんです。このあいだも、物理教育学会誌にも出たんです。 今後はさらに世界に打って出られるような科学館になってもらいたいというのが夢ですね。それから、若い人を育てるという意味で、科学の祭典で中高校生や大学生に「科学の基礎を訪ねる」という試みをやりましたが、若い人たちが勉強した結果,自分が成長したと感じたというのです。これは一流の教育だったと私は感激しました。不思議が体験できて、科学のきちんとした裏づけもある、皆さん、ぜひ大阪市立科学館に来てください(笑)。
―――研究者・教育者としての長い経験に裏打ちされた、多くの示唆に富むお話をしていただきまして、本当にありがとうございました。


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